男性目線の離婚体験記

日本でも離婚が増えてきましたね。女性視点で離婚を語るサイトは多くあるのですが、男性目線で離婚をとらえたサイトが少ないため、知り合いの知り合いのツテを頼って100%男性目線の離婚体験記を作成しました☆

不妊治療に疲れてしまった

私は3年前に離婚を経験しました。

その時の離婚に至るまでのことを話したいと思います。

 

私が28歳、妻が33歳の時に結婚することになりました。

私の両親は結婚にとても喜び、心から祝ってくれました。この時は、まだ離婚をするだなんて思ってもみませんでした。

 

妻は年上だったため、私に対しては厳しく、妻の方が立場は上でした。完全に私は妻の尻にひかれていると言った状況です。それでも、私は幸せだと思っていました。

 

私にとって結婚することが夢でしたから。

 

しかし、私と妻は夜の営みがかなり少ない方でした。その為なのか、子どもに中々、恵まれませんでした。

 

子どもがいない夫婦はよっぽど絆が深くないと、冷めきった関係になってしまい、結果的に離婚に繋がるケースが多いです。

 

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私は離婚だけは避けたかったので、妻を誘うことが多くなっていきました。しかし、妻はことごとく、拒否をしてきました。よっぽど、私とはしたくなかったんでしょう。

 

妻が35歳の誕生日を迎えた日の出来事です。

 

不妊治療を始めたいんだけど。私も、もう高齢出産になってしまったし、子どもは絶対欲しいから。」と、急に話を持ちかけてきました。

 

「子どもができなかったら離婚したいと思ってるの。子どもがいないと貴方と一緒にいる意味なんてない気がするから。」と、離婚という言葉を発しました。

 

私は、そんなに子どもが欲しいんだったら、そういう行為を増やせば良いだけじゃないのか?不妊治療なんてする必要なんてあるのか?と言いたかったのですが…何も言えれないまま、妻の不妊治療はスタートしました。

 

妻は神経質な性格の持ち主で、不妊治療の間は本当に大変でした。

治療を始めても、中々、授からなかった為、泣きわめくことが多くなりました。

女の人の月のものが来てしまった日には「もう離婚したい」と連呼するほどです。

 

その離婚がしたいという理由も納得いかないものでした。

 

「貴方の身体のせいで子どもができないの。そんな男の人なんて嫌。離婚して他を探す。」など酷い言葉も言われました。不妊治療を始めて1年、やっと妻が妊娠し、出産しました。

 

しかし、子どもができた途端、妻は私に対して冷たくなりました。

理由は子どもができたから、もう私はいらないとのことです。

 

結果、私の我慢の限界がきてしまい離婚しました。

 

子どもができたからと言って、誰もが幸せになるわけではないんですね。

現在、養育費を月々払ってはいますが、まだ納得はできていません。

最後は、お金で解決

元妻は、嫉妬深く 細かい性格で、私が仕事から帰ってきたら、上から下まで臭いをかぎ、浮気をしていなかったかチェックするようなタイプでした。

 

私は、朝から晩まで一生懸命に働いて帰ってきているのに、毎回疑われ、ほとほと嫌になりました。もう離婚したいと何度も思いました。

 

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さらに、元妻は 看護婦で夜勤もあったので、家のことがおろそかになり、家事や育児の負担が私にかなりかかっていました。家にいても安らげない気持ちになり、ついに黙って家を出ました。当然離婚してもらうつもりでした。

 

後で電話で「離婚してほしいから離婚届を置いてきた」といいましたが、当然納得するはずがありません。

 

しばらく、遠く離れた場所にアパートを借りて、そこからこっそりと仕事に通いました。

 

はじめは、元妻は離婚を拒んでいたのですが、子供の養育費を毎月25万円払うから別れてくれと頼んだら 諦め始めたようです。ですが、向こうも必死だったのでしょう。

公正証書をくみ交わすように求めてきました。やはり、私の毎月の支払いが滞るのを恐れたのでしょう。

 

公正証書をくみかわし、離婚が成立しサインをしてくれたのは、別居してから1年半が過ぎてからのことでした。

 

長かったですが、人の気持ちは、時間がたてば少しずつ変わるんだと感じました。

 

3人の子供は、可愛かったので、置いてきてしまったことは後悔していますが、小さいうちは母親が育てたほうがいいと思うので、養育費を送って陰ながらサポートしています。

 

毎月25万円もの支払いをするのは、サラリーマンでは無理なので、私はこれをきっかけに、会社を立ち上げました。今は、その養育費と自分の生活費、従業員の給料のために頑張って働いています。

 

離婚は、結婚と違い、パワーが要りますし、希望に向かって進むというのとは話が違いますから、大変です。

 

でもそれでも仕方なく離婚してしまうのは、お互いのためだと思います。

大なり小なり、離婚はもめると思いますが、いろんな方法を調べて乗り越えて下さい。

 

一番の犠牲者は、子供なので、子供のことだけは、離婚しても責任を持って別れてもかかわっていくつもりです。

結婚は向いていないということ

私は2度の離婚経験をしています。

 

現在は独身ですが、つくづく感じることがあります。

それは「私は離婚して正解だった人間」だということです。

私は結婚には向いていません。

 

まずは、私の1度目の結婚から離婚までの話です。

 

当時23歳の私は、まだ遊びたい盛りでした。

しかし、そんな時に彼女の妊娠が発覚し、泣く泣く結婚しました。いわゆる、「できちゃった結婚」というものです。

 

正直、適当に付き合っていたので、まさか結婚してしまうとは思っていませんでした。

最初からこんな心構えなら結果的に離婚は目に見えていますよね。反省しています。

 

妻が一年後、無事に女の子を出産し、初めて私も親心というものを味わいました。

自分の子供は可愛いものですね。

 

子どもが産まれてからは、しっかりと真面目に働きました。なんでも頑張れるような気になっていたのです。

 

しかし、妻は変わりました。

 

以前は私に尽くしてくれるような性格だったのですが、子ども中心になり、私の身の回りはほったらかしでした。だんだん、父親としての扱いも酷くなりました。

些細なことですが、私が仕事から帰ってくると妻と子供はアイスを食べていました。「あ!パパが帰ってきちゃった。どうしよう。」と子供が行ったのです。その理由は妻と子供の二人分しかアイスを買っていなかったのです。

私の分はなかったのです。

 

つい、私は怒鳴ってしまいました。

「お前みたいな女とはもう終わりだ!離婚する!」

 

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離婚という、最低な言葉を発してしまいました。

妻は、冷静な顔をして「離婚するなら早くしてよ。」と答えました。

 

この時に気がつきました。

妻には、もう私に対しての愛情がないのだと。

 

アイス事件をきっかけに夫婦仲は最悪になりました。

半年後、離婚が成立し、私は独りになりました。

 

 

2度目の結婚と離婚の話は、1度目の離婚が成立してから2年後のことになります。

 

なんとなく、知人の紹介で出会った彼女とノリで結婚してしまいました。

そろそろ嫁が欲しいなと考えていたので、有り難かったのですが、私は新しく企業を立ち上げたいという願望があり仕事を辞めました。

 

会社を造るということを甘く考えていたんです。

中々、思うように事が運ばず、貧乏生活の始まりでした。

 

妻は、すぐに弱音を吐き始めました。

「こんなことになるなんて… もう嫌だ。」

この言葉を毎日のように繰り返す妻に嫌気がさし、

 

「そんなに辛いなら離婚するか?」と尋ねました。

すると、妻の答えは「はい」でした。

 

あまりにも、早い決断で、私は笑ってしまいました。

そのまま、スムーズな流れで離婚が成立しました。

 

2度の離婚をして言えることは、私は独りが向いているのだと思いました。

 

別に、妻という存在がいなくても、生きていけます。

これから先も、もう結婚はしないと思います。

嫁の浮気で離婚しました

結婚して13年、子供は女の子と男の子が1人ずつ、両方とも小学生です。

 

同じ会社の同僚として出会い、結婚を機に嫁には会社を退職してもらいました。そして専業主婦になってもらいました。双方年齢は36歳です。

 

私がなぜ嫁と離婚したのかをお話します。

 

子供も小学生になり手がかからなくなり、嫁が「家にいるのは暇だからパートに出たい」と言い出しました。

 

私の給料ならまぁまぁ生活が営めますが、子供が「私立大学に入りたい」といったとき不安が確かにありましたので「家のことに支障をきたさなければよいよ」という事でパートに出しました。

 

それがまさか離婚するきっかけになるとは思ってもいませんでした。

 

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パートはスーパーのレジ打ちで、午前9時から午後3時までの勤務です。

 

半年ほどは特に問題なく、家でもパートのことについて話したり、家のこともおろそかにはしていませんでした。

 

しかし半年を越えた辺りから、私との夜の生活を拒否るようになり、パートの時間も「頼られるようになって延びた」や、今までは土日にパートは入れてなかったのですが「人が足りないから」とパートに出るようになったのです。家の掃除も汚くなり、気がつけばいつも携帯電話をいじっているような嫁になりました。

 

会社の飲み会の席で、ネタとして最近嫁がパートの帰りが遅いんだよという話をしたら後輩が「先輩それ浮気してるんじゃないですか」と言ってきました。

 

まさか嫁が浮気してるとはその時点まで考えていませんでした。

酔いもさめてしまい、もし浮気をしていたら離婚しかないよなぁと考え、帰路につきました。

 

それからしばらくは嫁の様子を見ることにしました。

 

パートに出るとき、私と会うときより念入りに化粧をしていたりネイルアートを入れていたりしていることに気づいたのです。

 

確実に疑わしいけど決定的な証拠はないしなぁと思い、夜嫁が風呂に入っている間に携帯電話を覗き見したのです。

 

結婚して初めてのことです。

 

メールのやり取りで「○○さんと毎日会いたいけど家があるから仕方ないわよね」「俺がもっと積極的に君を奪える人間だったらよかったのにな」や「また仕事の休みをあわせてココにいきましょう」というような文言が出てきました。

 

ココ(仮名)とは少し遠くにあるラブホテルで私と嫁さんが結婚する前に利用していたところです。

 

思い出まで汚されていたのか、と思い、メールの文章は全てこちらに転送し保存、浮気じゃないかと言っていた後輩に「実は浮気だった。どうしたらよいか」と相談をし、信頼できる弁護士と探偵を紹介してもらいました。

  

でっち上げDVよりはマシとは言え、妻の裏切りはとても許せるものではなく、お金はかかりましたが探偵に3ヶ月ほど張ってもらい(特にパートが遅くなると言っていた日や休日出勤の時などです)、ホテルに入る証拠をゲットしてもらい、メールの文面と共に嫁に突きつけました。

 

争いは子供に見せたくありませんでしたので、友人が預かってくれました。

 

浮気相手は、パート先の上司で、結婚してから初めて嫁に優しくしてくれた異性だそうです。

 

そうですか、それだったら慰謝料をこちらが請求しますし離婚しますから、嫁と結婚でもしてやってください、もう私は離婚して無関係になりますよ、というと相手は「離婚は困る、私にも家庭があるんだ」と。

そんなこと私には関係ないですし、証拠も弁護士もつけている、慰謝料もらって離婚しますと伝えました。

 

嫁は夢のなかにいるような感じというか理解していないみたいでぼーっとしてました。

 

3日後くらいに自分の置かれている立場をやっと理解したのか電話をかけてきて「浮気は気の迷いだった」「離婚したくない」「子供といたい」「あなたが一番好きなことに気づいた」「傷つけてごめんなさい」という言葉をいただきましたが、今更言われても遅いですし、そういうのは全て弁護士を通してください、と告げ電話を切りました。

  

特に裁判もせず(というかそんな知識がなかったのでしょう)全てを認め慰謝料を嫁から150万円、相手からも150万円、親権は私父親がもつことで離婚同意し、別れました。

 

子供たちは、徐々に家に帰ってこなくなる嫁に嫌気がさしていた(携帯電話をずっと見ているため会話もおざなりだったそうです)そうで、別にいなくてもいいよねーという感じで、今は親子3人幸せな生活をしています。

 

あのまま結婚生活を続けていたら家はもっと荒れていたのでしょう。

 

ちなみに不倫相手の家も離婚したそうで、あちらの奥様から連絡がありました。

妻の浮気の発覚と、妻の両親との衝突で、離婚を決意しました

離婚問題は、ある日突然やってきました。

 

離婚の運びになる約2ヶ月前に、妻の浮気が発覚しており、その証拠と共に、妻を問いただした経緯がありました。

私達家族は、妻の両親の家に同居しており、妻を問いただしている会話は、部屋は別でしたが、全て両親に聞かれていたのです。しかし、翌日漏れ聞こえてくる両親の会話は、自分達の娘である妻を養護する内容でした。

両親へは証拠も見せていませんでしたし、まさか娘に限って、信じられない気持ちは、分からないでもありませんでしたが、結局その時点では離婚話に進展することなく終わったのです。

 

妻が浮気をしていたのが、半年以上前であり、現在は会ってもいないし、連絡も取り合っていないことで、心を入れ直す、離婚はしたくないという妻の言葉に、私も納得したのです。

 

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その2ヶ月後、突然離婚話が、再燃することになったのです。

妻の両親、特に義母がお酒が入ると、日頃溜まった感情を抑えられずに、言葉荒く詰めよってくるのですが、その日も私が、家の事を全くやらないなどと難癖をつけてきて、2階の部屋でテレビを見ていた私を呼び出したのです。

妻は「謝ってくれていれば良いから」などと言っていましたが、ただ謝ることに納得いかない私は、とりあえず訳も良く理解しないまま、膝を付き謝りました。しかし、義母の気持ちは治まらず、私を侮辱し続けた為に、遂に私は離婚を覚悟で、「我慢しているのは私の方だと」言い返したのです。

 

「そこまで言うのでしたら、慰謝料も要りませんので、私は離婚して、出て行きます。子供達への養育費は相場で払いますので。」と口にした瞬間、隣の部屋に居た義父までもが出てきて、「今すぐ出ていってくれ、済んだ話しを今さら持ち出して、ふざけるな、離婚でも何でも良いから、今すぐ出ていってくれ。浮気をされるあなたにも問題があったのではないか。」となったのです。

 

今すぐは、身辺のこともあるので困るという私に両親から、出ていってくれの言葉と共に、殴る、蹴る、引きずるなど繰り返され、着の身着のまま追い出されてしまったのです。

 

一晩を、公園のベンチで過ごしました。離婚を決意しました。妻や子供達からは、LINEで「戻ってきて」と何度も連絡がありましたが、私の離婚の決意に、変化はありませんでした。

 

一週間、実家から会社へ通勤し、翌週末には妻と離婚について、話し合いました。原因の一つに、妻の浮気問題があるので、私側が有利に、話をまとめることは出来ました。慰謝料なし、養育費は裁判所で使われる算定表の中間、子供達とは何時でも会えるなどと決めました。

 

私は、実家で生活を始めましたが、離婚後、苦労したのは、クレジットカードの引き落としが、全て私の銀行口座になっていたことや、1台残すことにした、車の名義変更、電話の権利を引き上げること、銀行口座や各種クレジットカード類の住所変更などの事務手続きでした。私の所有物を、妻の両親の家から引き上げる時も、完全アウェイの中で、非常に辛かったです。

 

今回離婚して、後悔はしていません。以前から折り合いが悪い、義母との関係を考えると、遅かれ早かれ同じ結果になっていたと思います。

子供を味方に付けた卑劣な妻との離婚

時系列から述べますが、私が離婚したのは今からおおよそ4年前になります。

妻との亀裂が入ったのは6年前・・・要するに、離婚の事実が発生する2年前となります。

 

当時の家族構成は、私と妻、6歳になる娘の3人家族でした。

 

離婚の発端となった「亀裂」についてですが、当時私は4月の職場での異動があり、新たな仕事を覚えるのに必死で多くの勤務をこなすようになりました。

 

異動があってから一ヶ月くらいは妻は黙認していたのですが、鬱憤が溜まったのか一ヶ月を超えたあたりで突如私に毎日のように難癖を付け始めたのです。

 

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しかし、仕事を覚えなければ仕事にならない・・・仕事にならないという事は家計を支える事も出来ない・・・このように反論しても聞く耳を持たなかったのです。

この時点から妻からよく「離婚」という台詞が現れました。

 

それから2ヵ月後、妻に男の影がチラつくようになりました。これは私の失態なのですが、その男の影を掴む前に妻に問い詰めてしまったのです。この時点で私も離婚を意識し始めました。

 

当然妻はトボけます。その後に証拠を掴もうと思ったのですが時既に遅し・・・スマホを見ても家捜しをしても一切何も見つからず。

 

「そもそも不倫など無かったのでは?」と思われるかもしれませんが、よく言う「不倫の臭い」を確かに私は感じた上に、妻の友人からの垂れ込みもあったのです。

 

その後から、何故か娘の様子がおかしくなりました。私が帰って来ても逃げる、私に汚い言葉を使う、そもそも近寄る事が少なくなった、「離婚」という言葉を使うなど・・・明らかに不自然な行動を取るようになったのです。

  

間違いなく妻の仕業です。私の悪口を娘に吹き込み、私から遠ざけようと画策したのです。(実際、妻が娘に私の悪口を聞かせているのを二度程目撃している)

 

結局、仕事への理解の無さ、不倫という現実、娘への愚かな行為等を理由に、妻に離婚を突きつけました。(不倫の証拠などはないので、あくまで協議離婚です)

 

妻は喜んで離婚に応じ、当然娘も私に付いていく筈もなく、離婚後も私は一人です。

精神が病んでいる妻を支えきれなかった

私は理想が高いせいなのか、結婚相手どころか彼女も中々できない日々を送っていました。そんな中、会社の同僚に合コンを開いてもらえるようお願いし、やっと出会いの場に辿り着くことが出来ました。

 

実は私は一度、離婚をしています。

子供もいたのですが、妻との性格の不一致で離婚という結果になりました。

 

私は細い女性がタイプです。

その合コンで、私の理想通りのスリムな女性に出会うことができました。顔もスタイルも、ストライクでした。

 

私はその女性に一目惚れをしてしまいました。

すぐに連絡先を聞き、交際スタートとなりました。

 

結婚する前に聞いた話ですが、彼女も離婚経験者でした。

理由はよくわかりませんでしたが、元旦那のDVにより離婚が成立したようです。

 

交際を始めてから結婚までという道のりは短かったです。

なぜなら、私が早く、彼女と一緒に住みたいと考えていたからです。

 

この時、慎重に彼女の気持ちを理解しておけば、後に「離婚」という悲しい結末にはならなかったのかもしれません。

 

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結婚生活は新鮮なものでした。

一生懸命に尽くしてくれる妻に、感謝していました。

  

しかし、私の仕事は2交代制で夜勤が続くことがありました。

  

夜勤の前は決まって、妻は泣きだしてしまいます。

「寂しい。こんなに寂しいなら離婚したい。死にたい。」

これが、妻の口癖です。

 

妻は実は精神的な病気を患っていました。

結婚してから気がついたことですが、手首にはリストカットの後がたくさん残っていました。夜勤から帰ると、妻の姿が見当たらないこともありました。

 

焦って妻を探すとお風呂に浸かったまま目を覚まさないこともありました。決まって置き手紙をしていました。その内容はいつも同じでした。

 

「結婚してくれてありがとう。離婚はしたくないけど寂しくて苦しいので、私は逝きます。」

 

その度に救急車を呼び、手当てをしてもらいます。

 

私もこんな状態が続くのはよくないと思い、有給を仕方なく使いました。

私が休んでいる間、妻の精神状態は安定していました。

 

しかし、明日から仕事が始まる前日の日。また妻が不安定になり始めました。

私の精神状態もおかしくなりそうでした。

 

私の頭の中に「離婚したい」という考えもありました。

 

「妻は私を愛してくれているから、淋しいんだ」と言い聞かせ、離婚だけは避けたかったのですが。妻の行動も徐々に激しくなり、仕事に行けれない状態にまで追い込まれました。さすがに私に限界がきました。

 

「精神科に入院しよう。しないなら離婚しよう。」と妻に告げました。

 

妻は大パニックを起こしましたが、最終的に「自分の存在はそんなものだったのか。」と激怒し始め、家を飛び出してしまいました。

 

その1か月後、妻から離婚届けが届きました。

 

悲しい気持もありましたが、今は解放されたという気持ちが大きいですね。

結婚は慎重にするべきだなと良い経験になりました。